浅田真央の引退はいつ?引退理由はなぜ?年齢はいくつだったのか、引退後の活動は 

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引退後、テレビCMやイベントでも活躍、いまでも国民的人気があるフィギュアスケートの浅田真央さん。

ソチ五輪での感動的なフリー演技からソチで引退したと思っている方も多いのですが、ソチ後も競技生活を続けていました。
しかし不審があったこともあり、現在取り上げられることは少ないです。

この記事では浅田真央さんのソチ五輪から引退までの選手生活の成績や、引退会見の様子などについてわかりやすくお伝えしていきます。




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浅田真央、引退はソチ五輪だった?

浅田真央選手にとって3度目のオリンピックとなる2014年2月、ソチオリンピック。

ショートプログラムでミスが響き16位、涙から、一転。

フリー「ノクターン」でトリプルアクセルを含む8本の3回転ジャンプを着氷、回転不足はとられたものの大きなミスなく素晴らしい演技を見せ、日本中を感動させました。

今でも繰り返しテレビで紹介されるのは、この演技ですね。

浅田真央選手のソチ五輪での成績は6位入賞。

しかし、この試合では引退せずにその一月後、2014年3月に日本のさいたまスーパーアリーナで行われた世界選手権に出場。

SPで完璧な演技を披露して78.66点を記録。歴代最高得点を更新する演技で1位となります。

このときにフリー演技「ノクターン」を、私はさいたまスーパーアリーナで現地観戦していたのですが、五輪で決められなかったトリプルアクセルや、他のジャンプが素晴らしい出来だった以外にも、スピン、ステップ、身のこなし、指先の表現までとても美しかったです。

涙が出そうなくらい感動しましたし、周りの方もみなスタンディングオベーションし、そして同じように泣きそうになりながら浅田選手を讃えていたように思います。
五輪での悔しさを晴らすような、会心の演技であったと思います。

翌日のフリーでも首位を守り、総合では自己ベストを大きく上回る216.69点を獲得。
4年ぶり3個目となる、世界選手権の金メダルを手にします。世界選手権での3回優勝は、日本男女シングルで初めてのことでした。



浅田真央、ソチ五輪から引退に至るまでは?

ソチ五輪後の引退を示唆していた浅田選手でしたが、ソチ五輪を終えても、進退をどうするかは決められず、現役を続けるかどうかは「ハーフハーフ」と話していました。

その後、翌シーズンの試合には出場せず、1年間競技生活から離れる決断をしました。
引退するか、選手を続けるかは、休養期間中に考える、としました。

そして、2015年5月、公式ブログで現役続行の意向を発表します。

“休養中に、まだできると思い始め、自然と、試合の時に最高の演技をした時の達成感や喜びの感覚が恋しくなり、試合に戻りたいと思うようになりました”
出典元 デイリー 2015年5月15日
https://www.google.co.jp/amp/s/www.daily.co.jp/newsflash/general/2015/05/18/0008037223.shtml%3fpg=amp

休養中は、旅行や料理など、様々な経験をしたといいます。

このように、休養中に、スケートが好きだと気づいたという浅田さん。

2015年夏からふたたび現役(選手生活)をスタートさせます。



浅田真央が引退したとき、年齢は何歳だったの?

真央さん復帰1年目の2015-2016シーズン、

2015年10月、初戦ジャパンオープンで競技に復帰すると、女子1位の成績を残します。

そしてグランプリシリーズでは、中国杯で優勝。またNHK杯では3位に入賞します。
グランプリファイナルに進出しましたが、グランプリファイナルではSPで3位、FSで6位と振るわず、総合では最下位の6位に留まります。

2015年全日本選手権ではショートプログラムで5位と出遅れるも、フリーで挽回し3位。
伊藤みどりさんに並ぶ、11個目のメダルを獲得しました。

2年ぶりに出場した世界選手権では、7位に入賞しています。

復帰2年目となる2016-2017シーズンは、
グランプリシリーズのスケートアメリカで6位、フランス杯では9位と不振続き(どちらも12人中の順位です)

全日本選手権ではトリプルアクセルに挑みますが、アクセルは失敗に終わり、その他でもミスが目立って12位となり、世界選手権代表を逃します。

出場できなかった世界選手権が終わった2017年4月、
浅田真央さんは、競技選手としての現役引退を発表しました。

引退したのは、浅田真央選手が26歳のときです。

ソチ五輪から休養、復帰を決めて2年間の選手生活でした。



浅田真央の引退理由はなぜ?

2017年4月10日夜、競技選手としての現役引退を自身のブログで表明しました。

「突然ですが、私、浅田真央は、フィギュアスケート選手として終える決断を致しました。
(中略)
復帰してからは、自分が望む演技や結果を出す事が出来ず、悩む事が多くなりました。
そして、去年の全日本選手権を終えた後、それまでの自分を支えてきた目標が消え、選手として続ける自分の気力もなくなりました。このような決断になりましたが、私のフィギュアスケート人生に悔いはありません。」

「それまでの自分を支えてきた目標」とは平昌オリンピック出場のことだと思われます。

浅田選手はソチ五輪が終わってからも「平昌を目標にします」と語り、現役を続けてきました。
しかし、その選考試合である全日本選手権は12位に終わりました。
ジュニアである12歳から、シニアに混じって出場してきた浅田選手としては最低の結果となっています。そして4月12日に東京プリンスホテルで引退会見が開かれました。

引退会見の様子は次にお伝えします。



浅田真央 引退会見のコメント、全文は?

2017年4月12日に東京プリンスホテルで開かれた引退会見。
多くの報道陣が詰めかけて、NHKでは異例の生中継が行われるほど注目されました。

白のジャケット、黒いスカートで会見場に現れた浅田真央選手。

「わたし、浅田真央は選手生活を終える決断をしました。長い選手生活だったが、たくさん山がありました。たくさんの山を乗り越えられたのも、支えてくださった方々やたくさんのファンの方々の応援があったからだと思っています。きょうは感謝の気持ちをみなさんにお伝えできればと思い、このような場を設けさせていただきました。」

読売新聞オンライン「浅田真央ヒストリー 幼少期~引退会見(全文)」より引用

感謝の気持ちを伝えたいということを明言しました。

泣いているところを見られまいと後を向く浅田選手に、こちらも涙してしまいました。ファンの皆さんは、一緒に泣いた方が多かったのではないでしょうか。

浅田真央さんの引退会見のコメント、全文はこちらから読めます。

【読売新聞】 10日夜に自身のブログで現役引退を表明したトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)と笑顔で日本中を魅了してきたフィギュアスケート女子・バンクーバー五輪銀メダリストの浅田真央さん(26)。その決断と軌跡をまとめました。 「み

動画もあり、私もしみじみしてしまいました。

ちなみに、冒頭に質問する「代表質問」はフジテレビの西岡アナウンサーでした。

西岡アナはオリンピックのフィギュアスケート実況でも有名な第一人者です。

質問を聞いていて、「さすが西岡さんだな、よくわかってて質問されているな」と感心しました。


浅田真央の引退後の活動は

引退後、テレビCMやイベントでも活躍、いまでも国民的人気がある浅田真央さん。

プロになってからも、自身が座長になるアイスショーを開いて、さらに磨きがかかったスケート演技で私たちを魅了させてくれています!

浅田真央さん座長のアイスショーについて、詳しくはこちらの記事をどうぞ!

浅田真央さん主演のアイスショー「サンクスツアー」「BEYOND」の情報です

「BEYOND」は選曲、振付を真央さんが自分で手掛けているのですが、ポピュラーなジャズやクラシックを使いながら構成されている素晴らしいショーでした。

演出の才能もあること、びっくりしました。

真央さんのそのほかの仕事については、こちらの記事が詳しいです。

バンクーバー五輪銀メダリスト、世界女王3回、オリンピックでトリプルアクセル計3回成功のギネス記録など、輝かしい成績を残している浅田真央さん。...

それでは、最後までお読みいただき、ありがとうございました。




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