2019年12月2に全日本選手権が行われました。皆さんもテレビに釘ずけになったこととでしょう。男子シングルでは、高橋大輔さんのシングルでの最後となる演技に感動しながら、バンクーバー五輪の銅メダルの演技を思い出していました。宇野昌磨選手が羽生結弦をおさえての優勝となる演技も素晴らしかったですね。そんな中、リンクサイドに安藤美姫さんの姿がありました。皆さんもお気づきになられたとおもいますが。その安藤美姫さんの現在の活躍等についてお伝えしてみたいと思います。
安藤美姫、リンクが再開!練習の動画をインスタに
美姫ちゃんが練習を再開している様子をインスタにアップ!
外出自粛も含めて4ヶ月ぶりの氷上練習だそうですが、きれいにアクセルジャンプを決めていました!
現役選手にも見劣りしないジャンプ。さすがですね。
フィギュアスケートの日本代表として活躍した安藤美姫さんの現在が気になる!
安藤さんは、フィギュアスケートの日本代表として、トリノ五輪、バンクーバー五輪に出場し、世界選手権では、2度も優勝している世界のトップクラスのスケーターです。
2011-2012年シーズンは、10月のジャパンオープンの出場のみ、翌年の2012-2013年シーズンは、ニコライ・モロゾフの後任コーチが見つからず、このままでは満足する演技ができないこともあり公式戦に出場していません。2
012年の5月18日に放送されたテレビ番組「アナザースカイ」にトリノを舞台に出番しています。トリノ五輪、トリノで開催された2010年の世界選手権での思い出を語っています。また、海外での過ごし方、現役選手生活休業中の心境などを語ったトークやインタビュー映像もありました。
2013-2014年には、1月に所属のトヨタ自動車を退職しています。7月1日にテレビ番組報道ステーションでのインタビューにて、4月に長女を出産していたこと、2013-2014シーズンを最後に引退することを述べています。
2013年の全日本選手権にソチオリンピックの代表をかけて3年ぶりに出場し、SPで5位、フリーでは9位で総合7位に終わりました。オリンピック出場権が獲得できなかったことから、大会終了後に引退を表明しました。
引退後は、プロスケーターとしてアイスショーに出演する傍らテレビのバラエティー番組に出演することもあります。また、2016年からは、振付師としても活躍しています。
振付師として活躍する安藤美姫さんがコーチにも意欲的!
安藤美姫さんは、2016年からは、振付師として活躍されています。
全日本選手権の時、リンクサイドにいる安藤さんの姿をテレビ中継の際にご覧になられた方も多くおられるのではないでしょうか。現在は、大庭雅選手らの振り付けを担当しています。
女子SPで #大庭雅 選手の振付師として得点を待つ #安藤美姫 さん。(長)#フィギュア #全日本フィギュア #asahifigure
フィギュア特集 Kiss and Cryhttps://t.co/AIZS4drok4 pic.twitter.com/087KtoyvAD
— 朝日新聞 映像報道部 (@asahi_photo) December 19, 2019
2019年9月には東京渋谷のスペースJで開催されたJ SPORTS フィギュアスケートアカデミーでは表現力やコーチングに関して講演会を行なっています。「できなかったことを後から指摘するようなことはしない指導は必ずその日で完結させることをポリシーとしている」ようです。
そして、安藤さんは、そろそろコーチの道を歩みたいと思い始めていることも口にしています。それは、「門奈先生のように、子供に夢を与えるコーチになることが、スケートを始めた9歳の時からの夢だった」と述べていることから明らかです。「夢を持てない子供が少なくないと言われる中で早くに夢を持てた私は幸せだった。ぜひ、体が動くうちにお手本を見せたい。子供は吸収力があるので、見て覚えるのが一番だと思う」と、意欲的です。最近、テレビ番組の企画において、指導している姿がありました。
安藤美姫、ジュニア時代に4回転サルコーに成功!
安藤美姫さんは、ジュニア時代に、ISU公認大会で女子選手として史上初の4回転サルコーに成功功した選手です。それは、2002年のジュニアグランプリファイルにおいてでした。2001年から練習を始め、「練習中に、遊びでやってみたらできちゃった」のだと言うことです。その当時「ジャンプの安藤」と言われていました。
本人もジャンプに人並みならないこだわりがあると述べています。特に、4回転ジャンプにこだわっていると伺われるエピソードがいくつかあります。その中でも、最初のオリンピックとなったトリノ五輪と現役最後となった2013年の全日本選手権では、強く自分の意志を貫いています。では、安藤さんが競技会において4回転ジャンプに挑んだフィギュアスケート人生について振り返ってみましょう。
ジュニア時代の2002-2003シーズン、JGPファイナルフリーにて女子シングル史上初となる4回転サルコーに成功します。
翌年2003年の全日本選手権でも4回転サルコーに成功しています。さらに、この試合では、3回転ルッツ-3回転ループ、3回転トーループ-3回転トーループを入れた1クワド6トリプルの構成を完璧に成功させて初優勝となっています。
2004-2005シーズンからはシニアに参戦します。NHK杯でのフリーで、3回転ルッツ-3回転ループ-2回転トーループのコンビネーションを成功させています。これは、女子では最高難度の連続ジャンプで、15.2点を記録し、これは現在においても1度のジャンプでの歴代最高得点です。
トリノ五輪については、後で詳しく述べますが、SPで8位と出遅れます。そんな中、安藤さんは、4回転ジャンプにこだわります。フリーで敢えて自分らしさを貫き通すのです。結果は、回転不足に転倒が重なり、誰も予想すらしていない総合15位となりました。ジャンプに固執しつつ結果も残すことの難しさを初めて知った五輪だったのかもしれません。
そんな経験をしたからか、トリノ五輪の後からニコライモロゾフにコーチを変更し、戦略にも変化がみられます。ジャンプにのみ頼るプログラムを変更し、大人の魅力を兼ね備えた表現力、スピンやステップの技術力においても得点を稼ぐことが可能なスケーターへと変貌を遂げます。スケーターとして、大きく飛躍していきます。このシーズンのスケートアメリカでは、SP、フリーともに、3回転ルッツ-3回転ループを決め、ノーミスの演技となりましたが、特に、フリーでは技術点で70点を超え、当時の歴代最高得点を記録することとなりました。
2007-2008シーズンの四大陸選手権で2年ぶりに4回転サルコーに挑むも、回りきれずに2回転となりました。
2008-2009シーズンはすべての試合で4回転に挑むと記者会見で述べていました。しかし、モロゾフコーチのクリーンに滑ることを優先しようという指示により、GPシリーズでは回避していました。2季ぶりに進出したGPファイナルのフリーでは、回転不足と判定されたものの片足での着氷に成功させています。
そして、現役最後となった2013年のフリーで、「最後の最後は自分らしく終わりたいと思った」「ジャンプでの安藤と言われた時の気持ちでやりたかった」とミスなくきれいに滑ろうかと迷いながらも難しい構成で挑みました。シングルサルコー、シングルルッツなどのミスがでる結果に終わりました。しかし、本人が一番やりたいと思い、それを実行し、最後を締めくくれたことが選手として最も幸せな時間であったはずです。
安藤さんは、ジュニア時代の練習では、競技会で成功させている4回転サルコーに加えて、4回転ループ、4回転トーループ、3回転アクセルも成功させています。また、現役時代には3回転ジャンプは、アクセルを除く5種類をクリーンにかつ正確に跳ぶことができる選手でもありました。そして、引退後の現在でも、4回転サルコーと3回転アクセルには練習で取り組んでいるようです。このことからも、安藤さんは、ジャンプが得意な選手であり、ジャンプに特別な思い入れのある選手であったと言えます。
安藤美姫、世界選手権で優勝!シニアでの自身最高得点を達成!
安藤美姫さんは、世界選手権では、2007年の東京大会と2011年のモスクワ大会で見事、優勝を果たしています。
トリノ五輪後、大きく飛躍を遂げた安藤さんは、東京で開催となった世界選手権でも安定した強さを発揮し、優勝を飾りました。東京大会でのSP、フリーは、いずれもパーソナルベストを更新する会心の演技です。SPでは、キム・ヨナ選手が歴代最高得点で首位、安藤さんが2位です。フリーで逆転し、初優勝します。この優勝により、伊藤みどり、佐藤由香、荒川静香に次ぐ日本人歴代4人目の世界女王となりました。
この世界選手権のSPで出した67.98点は、彼女のSPでのシニア最高得点となります。フリーのシニア最高得点は、2011年の四大陸選手権で出した134.76点です。合計スコアも2011年の四大陸選手権での201.34点です。
同年の世界選手権では、当初東京で開催予定でしたが、東日本大震災のため中止となりました。その後、約1か月遅れでロシア・モスクワで行われました。SP2位とFS1位となり、総合でも1位となり、4年ぶり2度目の世界選手権優勝を果たしました。
安藤美姫さん出場のトリノオリンピックとバンクーバーオリンピック!
安藤美姫さんは、オリンピックにはトリノ五輪とバンクーバー五輪の2度出場しています。成績はトリノ五輪では総合15位で、18歳でした。代表が決まる全日本選手権では6位に終わったものの、五輪代表選考のポイントでは総合3位となり、代表に選出されました。トリノオリンピックでは、前年のグランプリファイルの前に右足の小指を骨折し、そのまま完治せずに競技に臨みました。その影響もあり、ショートプログラム56.00の8位と出遅れました。フリーでは、4回転サルコーに挑戦しましたが、回転不足で転倒するなどミスが続き、84.20の16位、トータルスコア140.20で総合15位に終わりました。
2009-2010シーズンにおいて、ロステレコム杯とNHK杯で連勝し、GPファイナルでも2位となり、オリンピック日本代表に内定しました。バンクーバー五輪では、SPとフリーともに安定した演技を見せるも回転不足などのミスがあり、思ったより得点が伸びず、5位入賞となりました。その悔しさを翌月の世界選手権にぶつけます。SPで冒頭のジャンプを転倒し、55.78のスコアでと11位と出遅れます。フリーではスピンのミスが1つあった以外ほぼノーミスの演技をし、122.04のスコアで猛烈な追い上げをみせ3位、総合177.82で4位となっています。
世界選手権では2007年の東京大会と2011年のモスクワ大会の優勝、2009年のロサンゼルス大会で3位の成績を残しています。オリンピックで同様の成績が納めるられなかったことは、本人とファンともに非常に残念でなりません。
新型コロナウイルスの世界的感染拡大を受けて、とても楽しみにしていました世界フィギュアスケート選手権が中止となりました。非常に残念ではありますが、選手と観客のを考えると当然のことといえます。
そんな時に、現在は現役を引退していますが、過去に世界フィギュアで活躍し、その後の動向が気になっていました安藤美姫さんの現役時代を振り返ってみました。
世界選手権での二度に渡る優勝、トリノ、バンクーバー五輪出場そして、振付師としての活躍について見てきました。
そして、現在はアイスショーでの活躍とともに、コーチとして日本のフィギュアスケート界への恩返しすることへも大変意欲的であります。
力強さと女性的な美しさを併せ持つ安藤さんのスケートを伝承した若い女子スケーターが出で来る日が今から待ち遠しく思われます。そんな選手をリンケサイドから見守り、キスアンドクライで選手と喜びも悲しみも分かち合う安藤さんの姿を一日も早くに見たいと期待に胸踊らせています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。